にんじんとるねーど

富山が産んだチルユニット『石垣クリエイターズ』でみんなチルしよう

演劇の本質

お客様に伝える

面白いものを伝える

流れに変化をつける(飽きられるため)

音響・照明・その他舞台装置も大事だが、結局は俳優の変化

セリフの音に変化をつける

会話をする(=相手のセリフを聞く、そこから感じ取る・受け取る、そこから受け取ったことを自分の中で醸成して発信する)

このラリーをする

自分の中に役を落とし込む

 

自分史

どうもあきぴでです。

で、僕今就活中なんですよね。で就活をするにあたって自己分析なるものをして自分はどういう仕事がしたいのか、とかどういう仕事に興味があるのがを知っていくために自分を深ぼっていく必要があるわけなんですよ。そこで僕も自分をふかぼって見たところ、今までの25年間が富山県立山町の地獄谷温泉の如く湧き上がってくると。なので今日は僕の自分史ということで、この抑えきれないホットスプリングエディション、愛と幻想のバラードということでお送りします。

 

出生

まず出生なんですけれども、僕は愛知県名古屋市で生まれました。動画ではずっと富山富山って言ってるんですけど、生まれ自体は名古屋ですと。でも名古屋って言っても実際にいたのが2歳までとかなので、ほとんど記憶がないんですよね。で僕の最初の記憶って僕がおむつを変えられてた時だったんですね。僕がM字開脚しながら無防備な形でおむつを取り替えられてると。こんな感じです(やる)。

で僕の家庭では、お風呂とかでまあその男性とか女性とかの大事なところを洗うことを「大事大事きれきれ」っていうんですね。これどういうことかっていうと大事なところをきれいにするということです。で、その時まさに僕は汚くなったおむつが取り替えられてたので、大事大事きれきれを受けてたんですね。なので僕の生まれてから最初の記憶は「M字開脚で大事大事きれきれされてた記憶」というわけです。

 

幼稚園

まあそんなこんなで富山に落ち着き、幼稚園に通い出しますと。で、幼稚園って基本的につまらないじゃないですか。幼稚園でおもろいことと言ったら、ドラえもんのび太のねじまきシティ冒険機を見ることくらいなんですよね。で僕その時幼稚園で仲よかった友達が一人いたんですよ。なのでその友達とよく幼稚園を抜け出してその友達のおばあちゃん地に行ってよくお茶したりだとかはしてましたと。まああとは幼稚園終わってうちに帰ってもやることがないのでビデオに撮ってあったポケモン一気見して徹夜で幼稚園行くとかはザラにありましたね。

まあそんな感じで結構バイタリティ溢れる少年だったよと。でもちょっとあまりにもバイタリティ溢れすぎてて、性の方にもバイタリティしちゃってたんですよね。これどう言うことかって言うと、幼稚園の制服ってスカートだったんでなんとかしてまあ俗に言うおパンとぅを見れないかとか、まあなんとかして可愛いあの子の、おティ理を触れないかだとか、まあしょっちゅうそう言うことを考えては実行改善し、P DCAサイクルを回していましたよと。でまあ今考えればまあ結構ギリギリなラインを攻めてたかなと思うんですけど、刑法上裁かれることはなかったので、法治国家ゆえの日本の甘さを幼稚園ながら学びましたね。

まあそんな感じで色々バイタリティ溢れる少年でしたよと言うわけです。

 

小学校

で無難に小学校に上がるんですけど、僕は親が転勤族だったので小学校を3つ経験してて、うち2つは富山なんですけど、1つは小三の頃に福井にも1年間だけいましたね。

そんな感じで小学校は思い出が交錯しすぎててあんまり覚えてないんですけど、でも基本的には転校してもすぐ周囲の輪に馴染めるような少年でしたね。と言うのも僕のショート動画ってまあ小学生とか中学生のギャグセンスじゃないですか。でそれは当時も健在で、でつまり小学生ながら中学生レベルのギャグセンスを持ってたのでもう周りに僕よりおもろいやつがいなかったんですよね。僕が世界一面白い、富山の神童チャップリンの遺伝子、そう呼ばれてたんですけど、まあなんでどこ行ってもムードメーカーの座は直ちに獲得できましたよと。

まあなんで友達に困ることなく伸び伸びと遊んでたんですけど、小6の頃に大事件があって、でなんの事件かっていうと「女子のパンツ見たのバレた事件」ですね。

これどう言うことかっていうと女子のパンツ見たのがバレました。で、前述の通り、僕はバイタリティが足りたりしてたので小学校でも基本的には性に精を出してたと。ただ周りにこれがバレるのがやはり恥ずかしかったので、こっそり鉛筆とか消しゴムとかを落として拾いに行くそぶりを見せてパンツを見てましたと。でこれがどうやらバレてしまったんですよね。でこれを機にいじめられてムードメーカーからパンツ男に成り下がりましたよと。で悪いのはこれ全部僕なんで特にこれ以上弁解の余地はないんですけど、これだけは言わせてくれませんか。

僕はあくまで可愛い子に絞っておパンとぅを見てたつもりなんですけど、特にタイプじゃないやつが「えー私も見られたー」って言ってるのを聞いて、「お前のは見てねえよ!」って抗弁したかったんですけどパンツ男なのでやめました。

ということであいつのパンツは見てませんよというわけです。

 

中学校

でまあ小学校からのいじめもあり、こっから僕の第一根暗人生、漆黒と野望のグロリアスが始まりますよと。でまあ基本的に男女問わずあんまり友達は作ってなかったですかね。

ただまあ部活は入ったほうがいいかなと思ってたので、何部に入ろうかなと思っていたところ、僕の親が先祖が偉大な武士であることを常に口うるさく言っててそれを盲信してたのでとにかく剣道部に入ることを強制されたので結果剣道部に入りましたね。でも部活でインキャってことは全然なくて、というのも幸いなことに剣道の才能に恵まれて、一年生のうちから先輩とか小学校から始めてた同期とかをごぼう抜きしてレギュラー入りしてたのでそういう意味で何かしら注目はされてましたね。まああと勉強に関して言えば小学校の時は地頭は良くなかったので成績はよくなかったんですけど、勉強習慣はあったので、小学校時代の地頭がよくて努力しない人達をごぼうぬきして常に成績上位1割でしたと。そんな感じで成績も良くて剣道も強かったので何かしら注目を浴びてましたが、結局それ止まりで、根暗なまま誰かと深い友好関係を築くとかはなかったですね。

ただ中3からそれを変えたいと思って、修学旅行を境にとにかくボケ倒してその日からなんとかクラスのムードメーカーの座を勝ち取りましたと。でそれでより注目が集まったので勉強には一層精を出し、そっからもっと成績も上げて、部活も頑張りまくって結局同期で県大会に行けたのは僕一人だけであったと。でこうしてみたら人間関係・勉強・部活、どれをとっても完璧っていう、そんな模範少年みたいな人間がこうして出来上がったんですけど、彼女がいないことだけ難点だったのでそこから美意識に目覚め始めると。で一時期眉毛がなんかふといみたいな感じでいじられて、それを気にして眉毛整えようと思ったんですね。しかし何を誤ったか、眉毛を全剃りしてしまったため、しばらくは眉毛を描いて登校する日々が続く。でそれで眉毛を描き続けた結果、なんとか県内トップの富山中部高校に合格できたというわけです。

 

高校生

で高校に入ったら富山中部高校の学生証を携えてもうウキウキの高校ライフ、どっきりどっきりどんどんが待っているかと思ったらまさにその通りで、僕中3でパチパチの陽キャになったので、結構はじめは楽しかったんですよね。というのも僕自体が陽キャっていうのもあったんですけど、高1のクラスが和気藹々としてて、結構挨拶とか自然と飛び交う雰囲気いいクラスで、年がら年中クラブハウスだったんですね。そんな感じで高1は楽しくやらせてもらいましたよと。

で部活はどうだったのかっていうと一応最初は剣道部に入って剣道続けてたんですけど、もう惰性でやってたので、正直モチベがなかったと。そんな時に一年生の秋に文化祭で演劇部の公演を見て、その中でひとり甲子園をひとりの部員がやってたんですよね。それを見てもう前にも後にもこんなに笑ったことがないってくらい笑ったので、翌日にはもう剣道部を退部して演劇部に電撃入部してましたと。

で初めのうちは演劇部すごい楽しくて、というのもですね、とても部員全員が仲良さそうだったんですよね。で、劇部自体もみんなが仲良いことを結構歌う集団だったので本当にその通りだなとその時は思ってたんですね。

でそんな感じで中学からの継続で高1の時はクラスでも部活でもバチばちの陽キャで、まあぶいぶい言わせて俺の青春・ザグランドキャニオンでしたと。

ただ問題はこっからで、高2に上がった瞬間クラスが静かになったんですよね。これどういうことかっていうと中部高校は高2から文理がクラスが分かれて僕文系に行ったんですけど、文系に行くと必然的に女子の割合が高くなると。でそのせいでクラスの手応えっていうのが低くというか。どういうことかっていうと、高1の頃のクラスはバリバリの陽キャクラスで誰とでも仲良くするみたいな感じだったんですけど、高2から挨拶しても返ってこないみたいな、年がら年中通夜みたいな、ツヤツヤしすぎて化粧水いらないみたいな、結構それくらいおとなしめになるんですよね。そこから少しずつ人間関係の手応えのなさを感じ始めるというか、誰とでも仲良くっていうのって無理なんだなと、この人にはこの距離感くらいなんだなっていうのを学習し始めるんですよね。

ただそこでもみんな仲良しっていう幻想をまだ部活の中だけでは抱いていて、いや部活のあいつらはクラスの奴らとは違うから見たいな、そんなスタンスでいたんですけど、そこから部活の人間関係も翳りを見せ始めて、どういうことかっていうと当時演劇部の文系って1クラスに固まってて僕含めて5人くらい固まってたんですけど、で理系の演劇部のやつがちょくちょく文系クラスに顔出して休み時間だべるみたいな構図が出来上がってて、で別にそこまでは問題ないんですけど、理系のやつが話しかけるやつが、文系の劇部5人をABCD僕だと適当に割り振ると、ABにしか話しかけてなかったんですよね。で、その話の輪に後からCDが入ってくるみたいな。全員女子だったので僕はそこに入るってことはしなかったんですけど、なんか僕はその光景に違和感を覚えて、僕はその演劇部が歌う「演劇部は全員仲良い」ってのを結構盲目的に信じてたんですけど、全然そんなことなくてそのABとの仲の良さ、CDとの仲の良さ、そして僕との仲の良さに濃淡があるってことを目の前で見せられて、まあ今思えばそんなの当たり前なんですけど、ずっといろんな大会とかを乗り越えて苦楽を共にしてきた仲間だと思ってた奴らからのメッセージがそれだったんで、その時は結構きましたね。

で公演とかも時折あるんですけど、その度に僕だけ詰められるみたいな構図もあったり、部活終わりに部員が部員の陰口言ってるみたいなのも聞いたりして、結構そっからは惰性で部活は続けてましたね。

でまあそんなこんなで受験があって部内で第一志望に落ちたのは僕だけで、他は全員受かりましたと。そこでもなんか疎外感を感じて。

まあそっからは死ぬ気で勉強したんですよ。で今思うとなんであんなに頑張れたのかっていうのはあいつらに認められたかった、おめでとうって言って欲しかったのは結構あると思うんですよね。まだ最後の最後まで「演劇部は全員仲良い」のを僕は信じてたので。僕とあいつらは仲がいいはずだと信じてたので。で結果そんな祝われなかったんですよ。でこれ相手にお祝いの言葉を求めるのってそもそも烏滸がましいことだと思うんですけど、当時の僕はそんなこと知ることもなく、「あ、なんか人間関係に期待するだけ無駄だなと。馬鹿馬鹿しいなと。」そっから結構人に期待しないみたいなのが変な方向に走って大学生活は第二の根暗人生、羨望と憧憬のマーベラスが始まりますよというわけです。

 

大学生活

そっからはマジで覚えてないんですよね。最近の記憶のはずなんですけど、大学1−3年まで僕人と関わらなさあすぎてほとんど記憶なくて、ポケモンピカチュウが登場しなかった回くらいなくて、授業受けて家帰ってドラクエ8するみたいなそんな生活繰り返してて。

基本的に他の人に過度に信頼を寄せたところで無駄って考えが僕の軸だったので、当時はマジで友達いなかったっすね。特に自分が合格最低点ってわかってからは才能コンプレックスを抱いてたので、お前らはただ才能に恵まれた人生ぬるま湯の奴らだと、俺はお前らの何千、何万倍も努力してきたんだと。まあこれも言って仕舞えば勘違いなんですけど、とにかくギラギラしてて周りの東大生に敵意剥き出しみたいなそんな銀狼の目つきをしてましたと。

部活も入ってたっちゃ入ってたんですけど、本当に練習を自分のためにしにいくってだけだったので特に深い友好関係はありませんでしたと。そんな中で大学3年になると就活を考えないといけないと。で、僕は演劇を高校のそういった背景からやめたんですけど、演劇をやってた時は楽しいっていうのは間違いなかったんですよね。そこで特にやりたいこともないし、演劇したいなって思い始めて、で大学3年の秋に日慣れっていう結構デカめの声優養成所に通ってたんですね。で、人と最近まで話したことない不安を抱えながら入ったものの、なんか思った以上に楽しかったんですよね。芝居っていうのは台本があるものの、やっぱ言葉があって人があるので人とのコミュニケーションっていうのが不可避なんですけど、その人と久々に関わってみた楽しさというか、乾燥わかめがやっと水もらったみたいな、そんな感じですと。そっからはもう俺には演劇しかないと、演劇をするのが運命なんだと、演劇おんざうぇいとぅごうなんだと、こういう思考回路になりまして、気づいたら劇団の試験受けて大学4年からその養成所には通ってましたと。

でまあそっからは人とのコミュニケーションでそんなに困ることはなくて、まあ割と人を信頼できるようになりましたと。

でまあなんやかんやあってフランツカフカの変身の主人公、グレゴールザムザのごとく、朝起きたらYouTuberになってましたよというわけです。

 

 

 

でこのチャンネルではですね、こんな僕の人生をベースに今まで思ったこと・感じたことを適宜発信して行きたいなと思っております。まあこんな人生を送ってきた私なんで、それこそ前の動画のやりたいことをやることについてだとか、学歴や才能、人間関係についてまあまあ考える機会があってですね、そう言った内容を発信していく中で皆様が何かを感じていただければと思います。

でなんでこんなことをやってるのかと、これ全部原稿作って自分で編集してて、で今収益化されてなくてただただ苦労のかかることをなんでやってるのかと言いますと、僕には1つ実は夢があってですね、それは「みんながやりたいことを臆せずやれる社会」を作りたい。そう思ってるんですね。

僕自身演劇に挑戦してみる以前にですね、いろんな社会のしがらみを感じてたわけですよ、進学校いったんなら大学行けとか、東大いったんなら大企業で稼げとか、ただ僕は高校生の頃からずっと演劇が、俳優がしたかったんですね。だからそういった社会に蔓延る風潮に常々疑問を抱いていたわけなんですよ。なんで大学に行かないと行けないんだろうとか?なんで社会に出て働かないと行けないんだろう?とか。しかし僕も結局その疑問も解決せず何も知らないことだらけでのままで東大から演劇に飛び込んだので、ただもっと事前に色々わかった上でやりたかったなって感じている場面があったので、皆さんにはそういう後悔をしてほしくないと。で、僕のチャンネルを見てですね、夢じゃなくてやっぱり企業とかで働きたいとか思うこともあると思うんですよ。むしろそれならそれでいいんですよ、それがもうやりたいことになってるし、それが色々考えた上での選択になってほしいってだけなんですよね。

というわけで皆さんには何かに挑戦する前段階で、本当に学歴って取っておいておいた方がいいのかなとか、勉強ってしといた方がいいのかなとか、そう言ったことを納得した上で自身の進路を歩んで欲しいとおもいます。

でこの動画の結論言うと、皆さんのパンツは何色ですか?ご視聴ありがとうございました。