にんじんとるねーど

富山が産んだチルユニット『石垣クリエイターズ』でみんなチルしよう

なぜ人は働くのか?

どうも、あきぴでです。

僕今就活中なんですけど、でなんで就活しているかっていうと働きたいんですよね。

で働くって具体的に言うと、ある程度の企業で雇用契約結んである程度働いていくイメージなんですけど

でそんときになんで僕ってこんな働きたいのかなって、カービィのホイールの回転数くらいで頭フル回転させて考えてたんですけど、その時に一筋の希望の光(ホープライトニング)が見えてですね

でしめしめと、これを独り占めして私だけ人生謳歌してやろうと思ってたんですけど、政府のシンクタンクから直々のお達しがきて、まあぜひそれを公開して日本の産業発展に寄与してほしいと頼まれたので

なので今回は私の極秘思考、ガバメントオブライトニングということでお送りします。

 

でまあ当然みんなが働かないと社会が回らないとか、生きていくためにはお金を稼ぐ必要があるから働くべきだ、みたいなそんな枝豆みたいな詰まらないことを言うつもりはないですと。

でまず働く理由を説明する前に僕が就活をしようと思ったきっかけについて説明していこうと思うんですけどこれ結論「社会的疎外感を拭うため」ですね

僕は就活をする前は劇団にいて、まあある種社会の枠から外れた存在になってたんですけど、

その時にですね、社会的疎外感みたいなものを感じていたんですね

それがきっかけで社会の輪に入りたい、僕も仲間に入れてポン!そんな感じで就活を始めたんですけど

要は社会から外れた存在であることが自分にとって不幸せだったから、就活を始めましたというわけです。

 

で、これ結構人間の本質的な部分だと思うんですけど、人って「あ、僕私ってここにいてもいいんだな」って時に幸せを感じるとおもんですよね。

というのもこれは僕の実体験なんですけど

僕は小学校でパンツを見過ぎたいじめがあって小学校、ひいては中学校のクラスで結構居づらい思いをしてましたと。高校の部活でも周いとの温度差に馴染めずなんか居づらいというか、居心地悪いなあみたいに感じてたんですね。

ただこれ高校のクラスの時は全く逆で、特に僕が高1の頃とかはクラスのみんなと仲良くて毎日楽しく登校、ダンスパーティ、そんな感じだったんですけど、

で家族の中にいる時もそんな感じなんですね、まあ特段家に帰るのが億劫だった時とかそんなにないですし、家族とは仲が良かったので居心地よかったですと。

でこれつまり自分の属する集団の中で「あ、僕ってここに居てもいいんだな」っていうか、「自分の存在意義」があるときが人って幸せになると思うんですよね。まあだからよく大学生女子が「あー彼氏ほしー」って言ってるのも、結局カップルっていう共同体の中で自分が無条件に肯定される幸せ、そういう存在意義を感じたいのに他ならないんですよね。

でこれ小中高大なら別にどうせ何年かで卒業するんで、別にしばらく周囲の輪から外れてようがどうでもいいんですけど、社会の輪となるとこの先ずっと付き合っていく集団なのでこの集団からこの先ずっと外れていくって言うのはあんまり僕の精神衛生上よくなかったというわけです。

 

でまあそれはよくわかったと。だけどそれは別に企業に正社員として就職しなくてもいいんじゃないか?って思う人もいるかもしれないんですけど、就活しなくてもアルバイトっていう雇用形態でもいいんじゃないかと、なんなら個人事業である程度メイクマネーできてるんならそれは社会的にいる意味があるんじゃないかって思う人もいるかもしれないんですけど

単純に僕の今の動画ビジネスって社会との接点を感じにくいんですよね。基本一人でやってますし、生身の人間と人間が会話しているわけではないし、リアクションにラグがありますし、これはすごい感覚論なんですけど社会から役に立ってる実感を得にくいんですよね。さらに就職すれば社会での存在意義プラスあわよくば企業っていう集団の中での存在意義も努力次第で獲得できるんですよね。なんで仮に僕この個人事業で月収100万とかになっても多分就活してますね。

じゃあ翻って翻って翻りエメラルドってとこで、アルバイトじゃダメなのかと、アルバイトでも週5勤務とかにすれば社会や人との接点が増えるし、社会や企業での存在意義も手に入るんじゃないかって思うかもしれないんですけど、これは社会での存在意義のグレードアップ、この1点につきますね。アルバイトでも組織の中では成果次第で存在意義を獲得できると思うんですよ、めっちゃシフト入れるとかテキパキ働いて仕事早いとか。ただアルバイトっていう評価が社会での存在意義を下げちゃってるんですよね、これどういうことかっていうと単純にアルバイトよりも正社員の方がえらいよね、みたいな暗黙の社会のクソルールがあるわけですよ。まあなんでそのグレードを引き上げたいっていうただそれだけですね、というわけです。

 

でこれ聞くとすごいちゃっちいことを言ってるなと思うかもしれないんですけど、まあまさにその通りで僕の考える存在意義っていうのはいうてそんなもんなんですよね、社会には誰かが勝手に決めたのか、自然にそうなったかはわからないにしろ、いろんな評価軸が乱立しててその中の高いところにいるかどうかの違いというか。

要は社会の中で存在意義を感じたい、っていうのも社会の評価軸の中で高い位置にいたいとこう言い換えれちゃうと

部活で存在意義を高めるにはしっかり戦績残したり、あるいは少なくともやる気は持っとくと。

企業で存在意義を高めるにはしっかり売上作って成果出すと。

クラスで存在意義を高めるには友達いっぱい作って周り盛り上げて人のパンツをみないと

要はその中の評価軸というか、カーストというか、高いところにいるかどうかみたいな話に落ち着きますと。

まあなんでなぜバイトでも個人事業でもなく、企業で就職したいのかというと、「社会的疎外感を拭いたい」「社会にいてもいいという感覚を得たい」「社会での存在意義を得たい」「社会にある評価軸の高いところにいたい」というわけです。

 

でまあ僕今すごいちゃっちいことを言ってると思うし、その自覚もありますと。人の評価とか社会の評価とか気にするな、自分は自分だ、そう思えと。そう思う人もいると思うんですよね。ただ私自身最近気づいたのが、まあ私自身そんなにメンタルが強くないというか。結局社会の評価軸を気にする人間なんだなとはっきり自覚したわけですね。そうじゃなきゃ恐らく就活なんてしてないと思うし、多分演劇まだ続けてるんですよね。イチローって就活しようかどうか多分迷ったことないと思うんですよね、野球がしたいただその軸をずっと貫いてきたと。まあそんな感じですと。

だから究極的には僕が就活をしている理由、働きたい理由っていうのは「この自分のメンタルの弱さを社会的に評価の高いもので埋め合わせたいから」なんですね。なんで就活をしている時点で私はそんなにメンタルが強くないですと。しかしそれをあんまり悲観的に考えてるってことはなくてですね、というのもこれって私だけじゃないと思うんですよね、ここでなぜ人は働くのか?に繋がるんですけど、たいていの人間って僕と同じようにそんなにメンタル強くないもんだと思ってるんですよ、印象論として。そうでなければもっとみんなやりたいことやってると思うんですよね、演劇なり音楽なりカメとのんびりわーいわーいなり。じゃなきゃこんなに大学受験ーとか就活ーとかに躍起になってないと思うんですよ。だからみんな高い学歴なり入ってる企業なりに自分を支えてもらってるんだなと、自分の存在意義をなんとかして見出そうとそう感覚がするんですね。

まあなんで僕がなんで働きたいか、延いては人はなんで働くのかその理由っていうのは究極的には「自分のメンタルの弱さの埋め合わせ」そう思っていますと。ただ自身のメンタルの弱さは悲観的に考えずに、みんなと同じでまあ弱いなら弱いなりに社会で高い評価を得ればいいかと、そういう結論に落ち着きましたというわけです。

 

余談なんですけど、そういうふうに考えてから夢追っかけてるやつめっちゃかっこいいなって思うようになったんですね。僕が以前入ってた劇団の同期のほとんどは落とされたんですけど、多分そのあいつら何やかんや演劇続けてるんですよ。劇団にいた頃は演劇を頑張るかどうかが組織の評価軸みたいなところがあったので、その箱の中で演劇をする時はのびのびとやれてたんですけど、そうやって箱から追い出されて社会に投げ出されてその中で夢を追っかけてるあいつらマジでかっこいいなって思うようになりましたね。逆にいうと自分らしく生きるってめっちゃ難しいんだなとそうも思いましたというわけです。

 

でこれまとめると、鈴木イチローって能力の割に名前が平凡なんで、西園寺信之とかに改名すればいいんじゃないでしょうか、ご視聴ありがとうございました。

凡人が東大に受かるまでの軌跡

キミニアエタそれって軌跡

どうもあきぴでです。

僕は富山中部高校っていう高校入って東大入って劇団入って今ニートしてるんですけど

今回は凡人凡才の僕が東大に受かるまでの軌跡を話していこうと思います

まあこのチャンネルの視聴者の大半は学生か大根だと思うんで

今日はそんな視聴者に役立つように、とthe radish miracleということでお送りします。

 

凡才の理由

まず僕が凡才ということについて説明しますと。いやいや東大受かっている時点で才能は十分にあるだろ。そう思う人もいるかもしれないんですけど、まあその通りですと。

ただこれは周りの東大生と比べて明らかに才能が劣っているていう意味での凡才ですね。

これ東大あるあるなんですけど、東大生って大体若くして才能の片鱗が見え隠れしてるんですね。ブレーキランプ五回点滅ですと、まあそんな感じですと。

東大生って基本中学受験受けるんですけどなんで中学受験受けるかっていうとそれを周りの大人に買われて中受させられるんですね。つまり若くして才能の片鱗が見え隠れしている前提があるんですよ、

幼少期とか小学校の方がそもそも積み上げてきた努力量が少ないんで、その人本人の、物事の理解力とかスピードとかそもそも潜在的に効率よくやる能力とか、そういうものひっくるめた純粋な才能っていうのが見えやすいんですね。

で、かくいう僕はどうかというと別に中受もしてないですし、小学生の頃の天才エピソードとかないんですね、親に聞いても家から市民プールの道順覚えてるくらいのエピソードしか出てこなくて。東大生と比べる以前に小学校の成績もそもそも良くないですし、なんなら姉ちゃんが頭良かったんで、僕は対照的に頭悪いキャラみたいな感じだったんですね。

まあ他にも11月の東大模試でガチで東大3位くらいまでのぼりつめたんですけど、そっからさらにギア上げて勉強しまくったんですけど、2月の試験の日には合格最低点までどえらい天才たちにまくられるっていう凡才エピソードもありますよと。

まあなんで少なくとも学問という分野において僕には才能がなかったというわけです。

 

 

実際に何をしたか

じゃあなんでぼくが東大に行けたかといいますと、まあ単純に夥しい努力っすね

で、僕が実際に勉強できるキャラになったのって中学上がってからなんですよね。これ環境変化あるあるだと思うんですけど、中学上がった瞬間とか、高校上がった瞬間の成績順位って急に地頭ランキングから努力量ランキングに変わるんですよ、これなぜかっていうと単純にテスト範囲が増えて、でかつテスト範囲が授業で扱った既知の範囲になるから、なんですね。

でかつ、ぼく小学校の頃勉強習慣は別にあったんですよね。公文やってたんで。まあなんでこれ公文の案件動画になりうる可能性があるんですけど。

ただ地元の公立小学校のテストの範囲なんて0.02mmの薄さくらいしかないんで、努力しなくても地頭で十分に補られる範囲ですと。

まあそんな感じなんで小学校の頃は頭悪かったけど、中学からはこの勉強習慣が功を奏して、中学高校で勉強続けてたら、外部模試は悪いのに定期テストは良くて俺って勉強できるんじゃね?って勘違いするようになったと言うわけです。

 

 

勉強量は才能を凌駕する

まあなんで、ぼくが東大受かるまでの軌跡話すとかいいながら、具体的な勉強法とか正直ここで紹介するつもりなんてなくてですね、というのも成績が上がらない人の多くは勉強不足だと、そう思ってるわけなんですね。

成績が上がらない、っていって僕のところにdmしてくる学生さんとかいるんですけど、毎回思うのは、スマホゲーム漫画友達全部捨てて毎日16時間勉強してそれでも成績上がらないなら連絡してこいと、そう思ってるわけなんですよ。

本当に才能のない僕がこれくらい勉強して、それでやっと東大ギリギリ入れたみたいなレベルなんで、だからいい大学に行くってほんとに難しいんですよ。それくらいの量と覚悟を持ってやって、やっと受からないラインから受かるかどうかわからないラインに立てるんですよ。

ただそれでも努力量が才能を凌駕することもありうると、ぼくの人生サンプルを見てそう思ったというわけです。

 

 

幼い頃からの意識、意識に刷り込む

あと個人的に大きかったかな、って思うのは幼い頃の意識のちがいですね、

ぼく何故か知らないんですけど、結構子供の頃から東大が一番頭いい大学ってなんか知ってたんですよ、

母ちゃんは四流私立で、親父は新潟大学落ち理科大なんで、別に東大とは無縁の家庭だったんですけど、でも歳の離れたいとこが東大法学部出て今外務省とかでバリバリやってる人だったらしくて、多分それで知ってたんですよね

だから人よりかは東大を身近に感じられたって言うのはありますね、だから東大って頑張ればいけるとこなんだ、みたいなそんな刷り込みがあってですね、だから諦め悪く一年浪人して頑張ることにそんなに抵抗なかったといいますか。これが割と大きかったですね。

ぼく東大よく出る高校あるある作るために超進学校のことよく調べてたんですけど、やっぱ東大は当たり前って言う意識の刷り込みが大事なんだなって言うのはどの学校見てても思いますね、

まあなんで、もうYouTubesns通じて東大が割と身近に感じられる時代だと思うんで、これから受験考えてる人は志望する大学の人と繋がってアホほど勉強すればいいんじゃないでしょうか。

 

 

これ結論言うと、気になるあの子に自分のことを刷り込ませたい時ってどうすればいいんですかね。

 

 

クイズメモ

ハッピー数

NHLレンジャース、ニューヨーク

ケントの花、りんご

抜海駅

室生寺、女子オッケー

サモトラケのニケ、シャル

ペリンダバ条約、アフリカ核

リュクサンブール宮殿、自由の女神

エクスプローラー1

ブレインストーミング、集団発想法、アレックス・オズホーン

ピラルク、でかいさかな

霧島、雲仙、瀬戸内海国立公園

クイリナーレ宮殿、イタリア大統領官邸

アガラス岬、アフリカ最南端

オーバーホール、再組み立て

北山村、和歌山の飛び地

函館山摩耶山稲佐山、夜景

ゴルゴンゾーラ、英スティルトン、仏ロックフォール

ゲリマンダー、有利選挙区わけ

パレ・デ・ナシオン、国際連盟本部

クアーズフィールド、高く飛ぶ

パーフォレーション、フィルム穴

ピジン言語、クレオール言語

おおすみ、日本初人工衛星

ビエンナーレ、2年に一度の美術展

契約の箱、アロンの杖、モーゼの十戒

カリナン、最大ダイヤモンド原石

盲腸線、行き止まり線路

ムレータ、闘牛の赤布

野島崎灯台、日本最古

大浦天主堂、日本最古のキリスト教建造

アウトオブバウンズ、OB

三段染、雪、紅葉、緑

ムーランドラギャレット、モンマルトルの丘の風車

クラーモント号、フルトン

なめろう

スターサイド右、ポート左

アンノドミニ、A.D.

色物、寄席での諸芸

すさのおのみこと

水揚げ、生け花

ダヴィンチ、手術ロボット

アイマー器官、モグラ

フロギストン

友愛数220,284

デニール

NORAD.サンタクロース

フィラデルフィア染色体、9,22

風花、花びらのような雪

村雨、そぼろ餡

ザブルーマーブル

モノリス

クイズメモ

日本初の超弩級巡洋艦、金剛

化粧回し、お相撲さん

栄冠は君に輝く

ウィリアムスターン

中ノ鳥島

戦場ヶ原

スタイルズ荘の怪事件

ジョンベラ、水火夫服

ボタンダウン

ラチェット、物価が上がるけど所得そのまま

八ツ場ダム

DNS 、不戦敗、DNF途中棄権

黄泉比良坂よもつひらさか

インバウンド消費、外国人の爆買い

ブツブツ川、和歌山

キジムナー

霊山、比叡山高野山、恐山

アーリントン国立墓地、南北戦争

赤嶺駅、最南端駅

原発性、二次性サルコペニア、筋肉量減少

ケーリュケイオンカドゥケウス、ヘルメスの杖

シュプレヒコール

335年戦争

馬出九大病院前まいだしきゅうだいびょういんまえ

エコロケーション、蝙蝠や鯨、超音波

競技かるた名人、クイーン、近江神宮

九州最大峰、宮之浦岳

霞ヶ浦、2番め

アララト山ノアの箱舟

北千里駅、自動改札

カッフェフローリアン、カフェの由来

富士川最上川球磨川くま

兜町、北浜

浸水、冠水

エピネフリン

もなかえ、ともえ

ガウス整数

マウントオーガスタス、世界最大の一枚岩

点線国道

目地

八木山動物公園駅、地下鉄で高い

ロカ岬、ユーラシア最西端

デジニョフ岬、ユーラシア最東端

野分

キースフラック結節、洞房結節

ピューターメダル、スケートなど。錫

デネボラ、スピカ、アークトゥルス

ヨーデル

スラボニア号、初SOS

碁笥ごけ

ゴールデンパラシュート

キブラ、礼拝方向

アクロニム、イニジャリズム

飛蚊症

ダウンバースト

カリーニングラード

ウェルウィッチア

ゾディアック事件

天平感宝

自由への賛歌、ギリシャキプロス

級化層理、

アンザイレン、登山で繋ぎ合う

青瓦台、ブルーハウス

グランピング、魅力的なキャンプ

建元

死界文書

クロテッドクリーム

酔象

甘い生活フェデリコ・フェリーニ

ニッポニアニッポン、トキ

アムンゼン・スコット基地

グスコーブドリの伝記

断腸亭日乗

サイドワインダー、ヨコバイガラガラヘビ

擦文時代、北海道の続縄文文化

マグナムフォト、国際的写真集団

ウェブ・エリス・カップラグビーカップ

閑谷学校、日本最古の学校

K2、カラコルム山脈

滑石、モース硬度1

ピュリッツァー賞コロンビア大学、音楽報道文芸

ジークンドーブルースリー

セムハムヤペテ

グラウディングアウト

伏龍、人間魚雷

デファクトスタンダード

シナイ山、ホレブ山、モーセ

湯沢町、雪国

オタワ、チューリップ

アフォーダンス、環境の意味

手玉、キューボール

夢か、安定か。

みなさんは泥水の味を知っていますか?

 

僕は富山中部高校はいって東大はいって劇団入って今ニートしてるんですけど

世の中にやりたいことをやっていくべきなのか?それとも安定を選んで堅実に働いていくべきか見たいな議論が1億年と5千光年前からあると思うんですけど、

僕の視聴者層って学生が大半だと思うんですけど、

でそんなきのこの山たけのこの里かくらいなんの生産性もないこの議論に今日は終止符を打っていこうと思います。

で僕はエリート街道進んでたと思ってたら気づいたら下水道通って泥水啜って生きてきた人間なんで、やりたいことをやってきた人の気持ちは痛いほど良くわかると。

だから今日はやりたいことをやってきて失ったもの3つ得たもの3つを紹介してきたいと思います。

まあ安定を選んできた人の意見も聞きたいところなんですけど、まあ道で石投げて当たった人って大体そういう人たちだと思うんで、まあその意見を聞きたかったら石でも投げて聞いてください。

ということでやりたいことをやって失ったもの1つ目、お金

でこれ当たり前のこと言ってるって思うかもしれないんですけど、結局根本的な問題ってもうこれしかなくて。だから僕も今こんな鉄骨むき出しで、配管剥き出しの潜水艦みたいないえ住んでるんですけど。まあやりたいことやってたら潜水艦にしか住めませんと。

で問題はここじゃなくて。この先なんですよね。どういうことかっていうと、やりたいことをやってたらやりたいことをやる金もなくなってくるんですよ。

いやいややりたいことやってる時間以外にバイトすれば良いじゃんて思うかもしれないんですけど、これには落とし穴があって、やりたいことを含む仕事って大体日本のマーケットの営業時間にやってるんですよね。つまり、やりたいことをやってたら大体の仕事はできなくなるんですよ。僕も一応東大出てるんで、劇団やってる時に塾講師やろうと思えばやれたんですけど、でも稽古終わる時間帯には予備校市場ってもう開いてないんですよね。で結局何をするかっていうと夜勤とか早朝とかの仕事になるわけですよ。僕も劇団にいた時はウーバーイーツとかいう高所得者の下僕となって夜の街を徘徊する仕事くらいしかできないんですよ。でかつこういう仕事って基本的にキャリアないんですよ。誰がやっても大体の成果物が同じなんで。だからやればやるほどお金はもらえるかもしれないけどキャリアアップの機会を実は損しちゃってるんですよね。やればやるほど実は損だったりするんですよ。でこういうのって体力仕事なんで、最終的にはやりたいことをやるためのお金すら稼げなくなっちゃうんですよね。なんでまず失うものはお金ですよというわけです。

 

やりたいことをやって失うもの2つ目、社会的な何か

これどういうことかっていうと、まあこんな感じでお金は稼げませんと。でなんでお金が稼げないのかっていうのはシンプルに価値がないからなんですよ。人は価値のあるものにお金を払うし、価値のあるところにお金が集まるんですよ、それすなわちメイクマネーをするということは社会に対し何らかの価値を与え貢献するってことなんですよ。この社会的な貢献感がやりたいことやってるとないんですよね。

僕の大学の同期とかは商社とか金融とか官庁とかでバリバリ働いて稼いでいるわけですよ、でも僕はやりたいことやって大して稼げず所得税も大して収めず、って感じで社会的な疎外感を強く感じるんですよね。

でこれいやいやバイトでもお金もらえてるなら働いてるやろ、それは貢献してるやろってなると思うんですけど、ここがちょっとむずいところで、確かに貢献はしてるんですけど、社会に対しての俺貢献してるぜって地位を感じにくいんですよ、どういうことかっていうとさっきも言ったようにやりたいことやる人のできる仕事って夜勤とか早朝に限られるんで、まあウーバーとかコンビニ夜勤とか居酒屋の夜勤とか大体こういうのに集約されるんですけど、僕これらの仕事全部やったことあるからわかるんですけど、もう人として扱われないんですよ。ゴミクズポンチン丸見たいな扱い受けるんですよ。そういうことから確かにお金は稼いでるけど稼ぐだけになっちゃうんですよ。かつ学生ならまだしも、まあ大学でたらそら働くでしょ、見たいなだから尚更社会的な貢献感は得られないです。なんで社会的な何かは失いますよと。いうわけです。

 

3つ目、民度

これどういうことかっていうと、単純に民度低いです。僕富山中部高校っていう県内トップの高校入って東大入ったんで最近まで気が付かなかったんですけど、やっぱ偏差値高いところって民度高いんですよ。劇団入った時に感じたのはあれ、ここって中学校?。10年前に見たことあるぞ、みたいな。僕中学は地元の公立の中学だったんですけど。やっぱり偏差値が雑多の集団って民度低いんですよね。で民度って具体的にどういうことかっていうと「人の嫌がることをしない」ですね。

これ当たり前なんですけど民度低い集団って結構してるんですよね。かといって学歴高い人は人の嫌がることしないかって言ったらそういうことはなくてでもちょっと毛色が違くて、というのも高学歴の人って人の嫌がることをあえてする、けどそのラインは弁えてるってことなんですよ。これどういうことかっていうと単純に相手のこと考えてるか考えてないか見たいな話ですね。つまり虐めてるか、いじってるか見たいな違いですと。

民度低い人はもう何も考えず思ったこと相手にズバズバいうんですよ。でもうこれは僕のちっちゃい人生のちっぽけなデータなんですけど大体高卒です。もちろん高卒が全員そうじゃないんですけど、該当者は高卒ってだけっすね。必要条件と十分じょうけんみたいな感じです。なんで東大にいた時には気づかなかったコンプが劇団入って生まれたんで、あいつらには感謝しても仕切れないですね。

 

で次からはやりたいことをやって得たものを

やりたいことをやって得たもの1つ目、優越感です。

これどういうことかっていうと、まあ普通は大学出たら働くけど俺はレールから外れちゃうよ、見たいな。俺が次世代の風吹かせちゃうよ、見たいな、make it possible with 俺、見たいな。

こんなイキリっすね。まあでもこれはあくまで学生の時限定で、卒業したら働かずに税金も納めない国の穀潰しの烙印を押されて優越感は散り散りになります。

 

2つ目、治験

でさっきも言ったようにいろんな奴がいるんで、自分の知らない世界があるんですよね。で別に会話ができないとかそういうことはないんですけど、こいつらこれ知らないのか、とか割と大学で常識だったことが通用しないんですよね。例を挙げるなら係結び知らないとか、レトリック知らないとか、ほんとこんな感じなんですけど、でこれ良い悪いの話をしているわけじゃなくてこういう世界もあるんだっていうきっかけにすごい役だったってことですね。こういう世界の中で、物事をわかりやすく伝えるにはいいかとかすごい考えますし、今までの自分の知識の前提を疑うようにはなりましたね。

まああとはいろんなキャリアの人がいたことにはビビり漏らしましたね。まあ演劇バリバリやってたやつもいましたし、族一歩手前のやつとか、少年院一歩手前のやつとか、やっぱそういう大学にはいないような奴らと会うのはめちゃくちゃ刺激的でした。

ということで得たもの2つ目は知見ですということです。

 

3つ目、思い出

これはもうほんとそうで、僕は確かに俺は演劇でバチバチしてくから、っつってイキリ倒して新卒カード台無しにしましたけど、後悔をしてるかっていうとマジでしてなくて。就活してたらどうなってたんだろうくらいの思いは馳せますけど、その程度ですね。

でたまに部活の引退とかで「いや、俺この部活に入ってほんとによかった」とか言って涙ちょちょぎれるくらいほざき散らかしてるやついると思うんですけど、いやいやそれは他を知らんからやろと。多分他の部活入っても同じこと言ってるぞって僕は思っちゃうんすよね。で僕もそうならないようになるべく自分の選択を客観的に見るようにはしてるんですけど、やっぱり上から見ても下から見ても神通川のほとりから見ても僕は演劇やっててよかったって思いますね。

で、確かに散々失ったものを言った割に前の2つの得たものが弱すぎるって話で、失ったものが100くらいだとすると、得たものの比重って1つ目から順に1:1:2000億くらいなんですね。そのくらい思い出が大事でしたよと。

で、なんで思い出大事なのかっていうと、みなさん考えてみてほしいんですけど、別に大学出て演劇の道選んでる人って僕だけじゃないんですよ。そういう人たちも新卒カード無駄にしたり、仕事やってたけどやめて入ってきた人もいるわけなんですよね。つまりどういうことかっていうと人生かけてるんですよ。もう学生の時にみたいに、部活に負けても勝っても人生の身分が保証されるような生ぬるい状況じゃないわけですよ。この先俳優なれるかなれないかみたいなところで、でほとんどの人がなれないていう覚悟を背負いながらいろんな思いやプライドかけて舞台作ってきてるんですよ。で、この前僕の劇団の同期のほとんどが進級のふるいにかけられて追放される「卒業公演」という名のサドンデスでしたよと。で、俳優になれるか慣れないかわからないとかの次元じゃなくて演劇をする環境さえ剥奪されるかもしれない環境で、全員が新卒カードかけて仕事かけて人生かけて命かけて作り上げる舞台が美しくないわけないじゃないですか。

正直演劇とかやりたいことやってたらもう思い出くらいしか手元に残らないわけですよ、それでもそれを差し引いても今でも鮮明に目の前で光り輝くくらい美しい結晶があるからこそ、後悔なんて1mmも1nmもないということです。

 

結論、バカとブスこそ演劇をしろ、

ご視聴ありがとうございました。