にんじんとるねーど

富山が産んだチルユニット『石垣クリエイターズ』でみんなチルしよう

夢か、安定か。

みなさんは泥水の味を知っていますか?

 

僕は富山中部高校はいって東大はいって劇団入って今ニートしてるんですけど

世の中にやりたいことをやっていくべきなのか?それとも安定を選んで堅実に働いていくべきか見たいな議論が1億年と5千光年前からあると思うんですけど、

僕の視聴者層って学生が大半だと思うんですけど、

でそんなきのこの山たけのこの里かくらいなんの生産性もないこの議論に今日は終止符を打っていこうと思います。

で僕はエリート街道進んでたと思ってたら気づいたら下水道通って泥水啜って生きてきた人間なんで、やりたいことをやってきた人の気持ちは痛いほど良くわかると。

だから今日はやりたいことをやってきて失ったもの3つ得たもの3つを紹介してきたいと思います。

まあ安定を選んできた人の意見も聞きたいところなんですけど、まあ道で石投げて当たった人って大体そういう人たちだと思うんで、まあその意見を聞きたかったら石でも投げて聞いてください。

ということでやりたいことをやって失ったもの1つ目、お金

でこれ当たり前のこと言ってるって思うかもしれないんですけど、結局根本的な問題ってもうこれしかなくて。だから僕も今こんな鉄骨むき出しで、配管剥き出しの潜水艦みたいないえ住んでるんですけど。まあやりたいことやってたら潜水艦にしか住めませんと。

で問題はここじゃなくて。この先なんですよね。どういうことかっていうと、やりたいことをやってたらやりたいことをやる金もなくなってくるんですよ。

いやいややりたいことやってる時間以外にバイトすれば良いじゃんて思うかもしれないんですけど、これには落とし穴があって、やりたいことを含む仕事って大体日本のマーケットの営業時間にやってるんですよね。つまり、やりたいことをやってたら大体の仕事はできなくなるんですよ。僕も一応東大出てるんで、劇団やってる時に塾講師やろうと思えばやれたんですけど、でも稽古終わる時間帯には予備校市場ってもう開いてないんですよね。で結局何をするかっていうと夜勤とか早朝とかの仕事になるわけですよ。僕も劇団にいた時はウーバーイーツとかいう高所得者の下僕となって夜の街を徘徊する仕事くらいしかできないんですよ。でかつこういう仕事って基本的にキャリアないんですよ。誰がやっても大体の成果物が同じなんで。だからやればやるほどお金はもらえるかもしれないけどキャリアアップの機会を実は損しちゃってるんですよね。やればやるほど実は損だったりするんですよ。でこういうのって体力仕事なんで、最終的にはやりたいことをやるためのお金すら稼げなくなっちゃうんですよね。なんでまず失うものはお金ですよというわけです。

 

やりたいことをやって失うもの2つ目、社会的な何か

これどういうことかっていうと、まあこんな感じでお金は稼げませんと。でなんでお金が稼げないのかっていうのはシンプルに価値がないからなんですよ。人は価値のあるものにお金を払うし、価値のあるところにお金が集まるんですよ、それすなわちメイクマネーをするということは社会に対し何らかの価値を与え貢献するってことなんですよ。この社会的な貢献感がやりたいことやってるとないんですよね。

僕の大学の同期とかは商社とか金融とか官庁とかでバリバリ働いて稼いでいるわけですよ、でも僕はやりたいことやって大して稼げず所得税も大して収めず、って感じで社会的な疎外感を強く感じるんですよね。

でこれいやいやバイトでもお金もらえてるなら働いてるやろ、それは貢献してるやろってなると思うんですけど、ここがちょっとむずいところで、確かに貢献はしてるんですけど、社会に対しての俺貢献してるぜって地位を感じにくいんですよ、どういうことかっていうとさっきも言ったようにやりたいことやる人のできる仕事って夜勤とか早朝に限られるんで、まあウーバーとかコンビニ夜勤とか居酒屋の夜勤とか大体こういうのに集約されるんですけど、僕これらの仕事全部やったことあるからわかるんですけど、もう人として扱われないんですよ。ゴミクズポンチン丸見たいな扱い受けるんですよ。そういうことから確かにお金は稼いでるけど稼ぐだけになっちゃうんですよ。かつ学生ならまだしも、まあ大学でたらそら働くでしょ、見たいなだから尚更社会的な貢献感は得られないです。なんで社会的な何かは失いますよと。いうわけです。

 

3つ目、民度

これどういうことかっていうと、単純に民度低いです。僕富山中部高校っていう県内トップの高校入って東大入ったんで最近まで気が付かなかったんですけど、やっぱ偏差値高いところって民度高いんですよ。劇団入った時に感じたのはあれ、ここって中学校?。10年前に見たことあるぞ、みたいな。僕中学は地元の公立の中学だったんですけど。やっぱり偏差値が雑多の集団って民度低いんですよね。で民度って具体的にどういうことかっていうと「人の嫌がることをしない」ですね。

これ当たり前なんですけど民度低い集団って結構してるんですよね。かといって学歴高い人は人の嫌がることしないかって言ったらそういうことはなくてでもちょっと毛色が違くて、というのも高学歴の人って人の嫌がることをあえてする、けどそのラインは弁えてるってことなんですよ。これどういうことかっていうと単純に相手のこと考えてるか考えてないか見たいな話ですね。つまり虐めてるか、いじってるか見たいな違いですと。

民度低い人はもう何も考えず思ったこと相手にズバズバいうんですよ。でもうこれは僕のちっちゃい人生のちっぽけなデータなんですけど大体高卒です。もちろん高卒が全員そうじゃないんですけど、該当者は高卒ってだけっすね。必要条件と十分じょうけんみたいな感じです。なんで東大にいた時には気づかなかったコンプが劇団入って生まれたんで、あいつらには感謝しても仕切れないですね。

 

で次からはやりたいことをやって得たものを

やりたいことをやって得たもの1つ目、優越感です。

これどういうことかっていうと、まあ普通は大学出たら働くけど俺はレールから外れちゃうよ、見たいな。俺が次世代の風吹かせちゃうよ、見たいな、make it possible with 俺、見たいな。

こんなイキリっすね。まあでもこれはあくまで学生の時限定で、卒業したら働かずに税金も納めない国の穀潰しの烙印を押されて優越感は散り散りになります。

 

2つ目、治験

でさっきも言ったようにいろんな奴がいるんで、自分の知らない世界があるんですよね。で別に会話ができないとかそういうことはないんですけど、こいつらこれ知らないのか、とか割と大学で常識だったことが通用しないんですよね。例を挙げるなら係結び知らないとか、レトリック知らないとか、ほんとこんな感じなんですけど、でこれ良い悪いの話をしているわけじゃなくてこういう世界もあるんだっていうきっかけにすごい役だったってことですね。こういう世界の中で、物事をわかりやすく伝えるにはいいかとかすごい考えますし、今までの自分の知識の前提を疑うようにはなりましたね。

まああとはいろんなキャリアの人がいたことにはビビり漏らしましたね。まあ演劇バリバリやってたやつもいましたし、族一歩手前のやつとか、少年院一歩手前のやつとか、やっぱそういう大学にはいないような奴らと会うのはめちゃくちゃ刺激的でした。

ということで得たもの2つ目は知見ですということです。

 

3つ目、思い出

これはもうほんとそうで、僕は確かに俺は演劇でバチバチしてくから、っつってイキリ倒して新卒カード台無しにしましたけど、後悔をしてるかっていうとマジでしてなくて。就活してたらどうなってたんだろうくらいの思いは馳せますけど、その程度ですね。

でたまに部活の引退とかで「いや、俺この部活に入ってほんとによかった」とか言って涙ちょちょぎれるくらいほざき散らかしてるやついると思うんですけど、いやいやそれは他を知らんからやろと。多分他の部活入っても同じこと言ってるぞって僕は思っちゃうんすよね。で僕もそうならないようになるべく自分の選択を客観的に見るようにはしてるんですけど、やっぱり上から見ても下から見ても神通川のほとりから見ても僕は演劇やっててよかったって思いますね。

で、確かに散々失ったものを言った割に前の2つの得たものが弱すぎるって話で、失ったものが100くらいだとすると、得たものの比重って1つ目から順に1:1:2000億くらいなんですね。そのくらい思い出が大事でしたよと。

で、なんで思い出大事なのかっていうと、みなさん考えてみてほしいんですけど、別に大学出て演劇の道選んでる人って僕だけじゃないんですよ。そういう人たちも新卒カード無駄にしたり、仕事やってたけどやめて入ってきた人もいるわけなんですよね。つまりどういうことかっていうと人生かけてるんですよ。もう学生の時にみたいに、部活に負けても勝っても人生の身分が保証されるような生ぬるい状況じゃないわけですよ。この先俳優なれるかなれないかみたいなところで、でほとんどの人がなれないていう覚悟を背負いながらいろんな思いやプライドかけて舞台作ってきてるんですよ。で、この前僕の劇団の同期のほとんどが進級のふるいにかけられて追放される「卒業公演」という名のサドンデスでしたよと。で、俳優になれるか慣れないかわからないとかの次元じゃなくて演劇をする環境さえ剥奪されるかもしれない環境で、全員が新卒カードかけて仕事かけて人生かけて命かけて作り上げる舞台が美しくないわけないじゃないですか。

正直演劇とかやりたいことやってたらもう思い出くらいしか手元に残らないわけですよ、それでもそれを差し引いても今でも鮮明に目の前で光り輝くくらい美しい結晶があるからこそ、後悔なんて1mmも1nmもないということです。

 

結論、バカとブスこそ演劇をしろ、

ご視聴ありがとうございました。