にんじんとるねーど

富山が産んだチルユニット『石垣クリエイターズ』でみんなチルしよう

なぜ人は働くのか?

どうも、あきぴでです。

僕今就活中なんですけど、でなんで就活しているかっていうと働きたいんですよね。

で働くって具体的に言うと、ある程度の企業で雇用契約結んである程度働いていくイメージなんですけど

でそんときになんで僕ってこんな働きたいのかなって、カービィのホイールの回転数くらいで頭フル回転させて考えてたんですけど、その時に一筋の希望の光(ホープライトニング)が見えてですね

でしめしめと、これを独り占めして私だけ人生謳歌してやろうと思ってたんですけど、政府のシンクタンクから直々のお達しがきて、まあぜひそれを公開して日本の産業発展に寄与してほしいと頼まれたので

なので今回は私の極秘思考、ガバメントオブライトニングということでお送りします。

 

でまあ当然みんなが働かないと社会が回らないとか、生きていくためにはお金を稼ぐ必要があるから働くべきだ、みたいなそんな枝豆みたいな詰まらないことを言うつもりはないですと。

でまず働く理由を説明する前に僕が就活をしようと思ったきっかけについて説明していこうと思うんですけどこれ結論「社会的疎外感を拭うため」ですね

僕は就活をする前は劇団にいて、まあある種社会の枠から外れた存在になってたんですけど、

その時にですね、社会的疎外感みたいなものを感じていたんですね

それがきっかけで社会の輪に入りたい、僕も仲間に入れてポン!そんな感じで就活を始めたんですけど

要は社会から外れた存在であることが自分にとって不幸せだったから、就活を始めましたというわけです。

 

で、これ結構人間の本質的な部分だと思うんですけど、人って「あ、僕私ってここにいてもいいんだな」って時に幸せを感じるとおもんですよね。

というのもこれは僕の実体験なんですけど

僕は小学校でパンツを見過ぎたいじめがあって小学校、ひいては中学校のクラスで結構居づらい思いをしてましたと。高校の部活でも周いとの温度差に馴染めずなんか居づらいというか、居心地悪いなあみたいに感じてたんですね。

ただこれ高校のクラスの時は全く逆で、特に僕が高1の頃とかはクラスのみんなと仲良くて毎日楽しく登校、ダンスパーティ、そんな感じだったんですけど、

で家族の中にいる時もそんな感じなんですね、まあ特段家に帰るのが億劫だった時とかそんなにないですし、家族とは仲が良かったので居心地よかったですと。

でこれつまり自分の属する集団の中で「あ、僕ってここに居てもいいんだな」っていうか、「自分の存在意義」があるときが人って幸せになると思うんですよね。まあだからよく大学生女子が「あー彼氏ほしー」って言ってるのも、結局カップルっていう共同体の中で自分が無条件に肯定される幸せ、そういう存在意義を感じたいのに他ならないんですよね。

でこれ小中高大なら別にどうせ何年かで卒業するんで、別にしばらく周囲の輪から外れてようがどうでもいいんですけど、社会の輪となるとこの先ずっと付き合っていく集団なのでこの集団からこの先ずっと外れていくって言うのはあんまり僕の精神衛生上よくなかったというわけです。

 

でまあそれはよくわかったと。だけどそれは別に企業に正社員として就職しなくてもいいんじゃないか?って思う人もいるかもしれないんですけど、就活しなくてもアルバイトっていう雇用形態でもいいんじゃないかと、なんなら個人事業である程度メイクマネーできてるんならそれは社会的にいる意味があるんじゃないかって思う人もいるかもしれないんですけど

単純に僕の今の動画ビジネスって社会との接点を感じにくいんですよね。基本一人でやってますし、生身の人間と人間が会話しているわけではないし、リアクションにラグがありますし、これはすごい感覚論なんですけど社会から役に立ってる実感を得にくいんですよね。さらに就職すれば社会での存在意義プラスあわよくば企業っていう集団の中での存在意義も努力次第で獲得できるんですよね。なんで仮に僕この個人事業で月収100万とかになっても多分就活してますね。

じゃあ翻って翻って翻りエメラルドってとこで、アルバイトじゃダメなのかと、アルバイトでも週5勤務とかにすれば社会や人との接点が増えるし、社会や企業での存在意義も手に入るんじゃないかって思うかもしれないんですけど、これは社会での存在意義のグレードアップ、この1点につきますね。アルバイトでも組織の中では成果次第で存在意義を獲得できると思うんですよ、めっちゃシフト入れるとかテキパキ働いて仕事早いとか。ただアルバイトっていう評価が社会での存在意義を下げちゃってるんですよね、これどういうことかっていうと単純にアルバイトよりも正社員の方がえらいよね、みたいな暗黙の社会のクソルールがあるわけですよ。まあなんでそのグレードを引き上げたいっていうただそれだけですね、というわけです。

 

でこれ聞くとすごいちゃっちいことを言ってるなと思うかもしれないんですけど、まあまさにその通りで僕の考える存在意義っていうのはいうてそんなもんなんですよね、社会には誰かが勝手に決めたのか、自然にそうなったかはわからないにしろ、いろんな評価軸が乱立しててその中の高いところにいるかどうかの違いというか。

要は社会の中で存在意義を感じたい、っていうのも社会の評価軸の中で高い位置にいたいとこう言い換えれちゃうと

部活で存在意義を高めるにはしっかり戦績残したり、あるいは少なくともやる気は持っとくと。

企業で存在意義を高めるにはしっかり売上作って成果出すと。

クラスで存在意義を高めるには友達いっぱい作って周り盛り上げて人のパンツをみないと

要はその中の評価軸というか、カーストというか、高いところにいるかどうかみたいな話に落ち着きますと。

まあなんでなぜバイトでも個人事業でもなく、企業で就職したいのかというと、「社会的疎外感を拭いたい」「社会にいてもいいという感覚を得たい」「社会での存在意義を得たい」「社会にある評価軸の高いところにいたい」というわけです。

 

でまあ僕今すごいちゃっちいことを言ってると思うし、その自覚もありますと。人の評価とか社会の評価とか気にするな、自分は自分だ、そう思えと。そう思う人もいると思うんですよね。ただ私自身最近気づいたのが、まあ私自身そんなにメンタルが強くないというか。結局社会の評価軸を気にする人間なんだなとはっきり自覚したわけですね。そうじゃなきゃ恐らく就活なんてしてないと思うし、多分演劇まだ続けてるんですよね。イチローって就活しようかどうか多分迷ったことないと思うんですよね、野球がしたいただその軸をずっと貫いてきたと。まあそんな感じですと。

だから究極的には僕が就活をしている理由、働きたい理由っていうのは「この自分のメンタルの弱さを社会的に評価の高いもので埋め合わせたいから」なんですね。なんで就活をしている時点で私はそんなにメンタルが強くないですと。しかしそれをあんまり悲観的に考えてるってことはなくてですね、というのもこれって私だけじゃないと思うんですよね、ここでなぜ人は働くのか?に繋がるんですけど、たいていの人間って僕と同じようにそんなにメンタル強くないもんだと思ってるんですよ、印象論として。そうでなければもっとみんなやりたいことやってると思うんですよね、演劇なり音楽なりカメとのんびりわーいわーいなり。じゃなきゃこんなに大学受験ーとか就活ーとかに躍起になってないと思うんですよ。だからみんな高い学歴なり入ってる企業なりに自分を支えてもらってるんだなと、自分の存在意義をなんとかして見出そうとそう感覚がするんですね。

まあなんで僕がなんで働きたいか、延いては人はなんで働くのかその理由っていうのは究極的には「自分のメンタルの弱さの埋め合わせ」そう思っていますと。ただ自身のメンタルの弱さは悲観的に考えずに、みんなと同じでまあ弱いなら弱いなりに社会で高い評価を得ればいいかと、そういう結論に落ち着きましたというわけです。

 

余談なんですけど、そういうふうに考えてから夢追っかけてるやつめっちゃかっこいいなって思うようになったんですね。僕が以前入ってた劇団の同期のほとんどは落とされたんですけど、多分そのあいつら何やかんや演劇続けてるんですよ。劇団にいた頃は演劇を頑張るかどうかが組織の評価軸みたいなところがあったので、その箱の中で演劇をする時はのびのびとやれてたんですけど、そうやって箱から追い出されて社会に投げ出されてその中で夢を追っかけてるあいつらマジでかっこいいなって思うようになりましたね。逆にいうと自分らしく生きるってめっちゃ難しいんだなとそうも思いましたというわけです。

 

でこれまとめると、鈴木イチローって能力の割に名前が平凡なんで、西園寺信之とかに改名すればいいんじゃないでしょうか、ご視聴ありがとうございました。