にんじんとるねーど

富山が産んだチルユニット『石垣クリエイターズ』でみんなチルしよう

友人が記事を書いていた。〜信頼とは何か〜

こんにちは、たりえです。


友人が記事を書いていた。


そんなことをしているということは、うっすらと耳にはしていたが、共同アカウントを作っていたとは知らず、面白そうだと覗いてみた。


普段どんな本を読んでいるのか、どんな刺激を受けたのか、どんな考え方をしているのか、知らないことも多いため、記事をスクロールする指が止まらなかった。


中でもあきぴでとヒロが触れていた"信頼"というテーマに興味を惹かれた。

20代半ばの一般男性が同時期にこのテーマに触れるというのもその理由のひとつだが、たしかに面白いテーマだと思い、自分も考えてみることにした。


石垣クリエイターズ、お邪魔しま〜す。



あきぴでは予備校の恩師から、ヒロは絵本作家の西野亮廣氏から信頼を学んだようだった。

自分は残念ながら「あっ、これが信頼か」と感じたことがないのだが、それが現代社会を生きるうえで重要であることは、なんとなくイメージできている。


そもそも信頼とは何か。

これは自分がよくする考え方なのだが、信頼とは動物の本能なのかどうか、というものだ。

野生動物と言えば、まず信頼とは正反対に位置する"警戒"をイメージする方が多いのではないだろうか。

野生の世界は警戒を怠るとそれが死に直結することもあるほどに危険だ。

簡単に他者を信頼することが許されない世界である。

そう考えると、信頼とは元々人間の本能に備わっていたものではなく、人間同士のコミュニティを築く上で身につけたスキルなのではないだろうか。

例えば、政治家が色々な場所に赴き、色々な人に会うのも、それにより信頼を得ようとするためのものなのだろう。

逆に、飲食店でまさか毒が盛られているとは思わないし、水道やガソリンに不純物が混ざっているなどと考えたこともないだろう。

このように、知らず知らずのうちに他者を信頼してしまっている例もある。


では今度は背理法的に、信頼することで生まれるデメリットから、その重要性を考えてみよう。


ひとつに、信じた人に騙されることで損をするケースがある。謂わゆる詐欺である。美味しい話や自分を窮地から救ってくれるような話に飛びつき、結果騙されると、「信じていたのに…」と絶望してしまうのは想像に難くない。


ふたつ目は、全幅の信頼を寄せる人を全肯定してしまい、自分を失ってしまうケースだ。これは依存の一種とも言えるだろう。自分で考え、決断することを止めると、成長する機会を失う。


考えた結果、捻り出したこのふたつのデメリットも、自分が定義する信頼ではないような気がする。

ふたつに共通しているのは、相手のことを十分に知れていないことで生じるもの、ということだ。

相手にどんな意図があるのかが分かっていれば騙されることはないだろうし、相手がどんな人か知れば知るほど、全肯定が信頼を深めるための手段にはならないことに気づけるだろう。


以上のことより、信頼とは、相手のことをよく知った上で生じるべきものである、との結論に至った。

たしかに、相手のことをよく知る、ということは、人間関係を構築していく上で重要なことだ。

相手を信頼するために相手を知ろうとする姿勢、それが自分を知ってもらう、信頼してもらうことにつながっていくのではないだろうか。


人を信じたり頼ることに躊躇してしまう自分だが、まずは相手を知ることから始めようと考えると、とっかかりやすくなるかもしれない。


最後まで読んで下さった方がいたら、ありがとう。