にんじんとるねーど

富山が産んだチルユニット『石垣クリエイターズ』でみんなチルしよう

社会に俺の居場所はない #1

ある集団に入るときにすでに既存のコミュニティが存在すると、その輪には入りづらいものである。みんながみんな仲がいい、なんてのは幻想で、どのコミュニティにも仲の良さにはムラがある。俺はそれを高校生ながら学習した。

 

俺が所属している演劇部はまさにそれが出ていた。密かにだが、確かに。俺が年度の途中でわざわざ入っていた部活を辞めて演劇部に入った理由は2つあった。

 

まず一つ。シンプルにあいつらの劇が面白かったから。厳密にいうと劇が面白かったというより、一人の先輩の演技がめちゃくちゃ面白かったから面白いと錯覚しただけだったんだが。

 

2つ目は仲が良さそうに見えたから。あいつらの劇を見てから一回体験的に部活に参加させてもらったのだが、その一回でとても仲が良さそうだった。それもあって入部を決めた。

 

しかし実際はこの2つ目の理由が問題だった。

 

確かに仲は良かったのかもしれない。だが俺の感じた雰囲気は「誰もが分け隔てなく満遍に仲がいい」という雰囲気だった。しかし当たり前だが分け隔てはあった。

 

高一の時のクラスがそんな雰囲気だったし、俺もそういう陽気な雰囲気への憧れを抱いているという節もあったのかもしれない。しかしそんなみんながみんな仲がいいなんていうのは幻想に過ぎなかった。俺の入ってた演劇部にも、というかどのコミュニティにも仲の良さのムラがあった。当たり前だった。

 

問題は俺が演劇部に自分の期待を押し付け過ぎていたことだった。「みんながみんな仲のいい部活」。初めのうちは呑気にそんなことを信じて高一、高二と時が経っていた。そんな幻想を打ち砕かれたのが高三になってからだった。

 

高三のクラス替えで部活の同期が五人ほど固まったクラスにぶち込まれた。それで他クラスの同期が遊びに来ることが多くなってたのだが、お目当ては当然俺ではなかった。他の同期は毎回決まって田中と吉田のところへ遊びにきていた。俺とあと二人の同期には目も暮れなかった。あと二人の同期は、他の同期が田中と吉田のところへ来て話が始まるのを見ると金魚のフンのようにくっつき始めた。俺はこの最後の光景だけを見て高一の頃、演劇部を「みんながみんな仲がいい部活」と錯覚していたのかもしれない。それまでの過程を全く知らずに。

綺麗事だった。